アバターマスターの佐藤浩二です。(詳しいプロフィールはこちら)
30日チャレンジ23日目。残り1週間になりました。
最初はアイデアがたくさん出てきてどんどん書いていたら、ブランクじゃないですが何を書こうか迷ったり。
しまいには、文章で伝えることの限界を感じたり、このチャレンジをはじめて色々なことを経験しています。
今までの記事頻度を見ると月2~4くらいだったので、30記事って1年分に相当。
1年分で起こる様々な出来事や感情をこうして統合する機会に恵まれたことは嬉しいです。
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Facebook疲れの正体
今日は最近感じていたことを書きたいと思います。
Facebook疲れ
という言葉を聞いたことはありますか?
聞くところにによると、FB利用者は30~40代が多く10代・20代は減少しているそうです。
- 告知や宣伝ばかりの投稿
- 自撮りUPばかりの投稿
- 他人のリア充を見て自己卑下
- リア充を装うことに精一杯
そういった理由でfacebookから若者が離れているとのこと。
2つFBページを運営しているんですが、確かに30-40代が多く10-20代は少ないです。
最近、FacebookのWEB集客とか無料セミナー動画の広告が多い気がするし、告知や宣伝ばかりの人もいるし、商業利用の巣窟になってきているのかもしれません。
逆にTwitterやInstagramは利用者が若干増加しているそうです。
そういう利害関係を超えたリアルな繋がりが楽しいのかもしれません。
僕自身も先月からTwitterで家庭菜園専用のアカウントを作って、家庭菜園ネタで旬の野菜やナメクジ対策など匿名でありますが有意義なコミュニケーションがとれています。
FBはイイネやコメントが付くことで承認欲求が満たされます。
僕自身もイイネやコメントが少ない時よりも、多いほうが嬉しいと感じてしまいます。
でも、誰かに承認されようと頑張ると・・・
過度に演出をしたり、ブランディングといって自分ではない何かになろうとするかもしれません。
実名登録制であるがゆえに、”自分自身”からどんどん分離していきます。
自分以外の誰かになっている時は疲れます。
うまく機能するには
と言うことは逆もまたしかり。
Facebookがうまく機能するのは、自分自身であるがままに存在している時。
そう感じています。
他者と比べることも少なくなり、
必要以上に承認欲求を求めること無く、
盛ったり飾ったりせずに、
等身大の自分自身で世の中へ登場する。
アバターをやってあるがままで存在できる時間がすごく増えました。
何でも思っていることを垂れ流しにするわけではなく、マナーや相手への配慮は保ちつつ自分自身として存在する。
苦しい時は我慢せずに苦しいと伝えて、嬉しいことは嬉しい、楽しいことは楽しい、共有したいことは共有したいと気持ちを素直に出す。
かまって欲しい時は素直にかまって欲しいと伝える(笑)
Facebook見てイラっとする
Facebookを見ていて反応がでることがしばしばあります。
イラッ、それ無いわー、一体なにがしたいんだ…。
そんな時には、自分の意識の中にまだ統合されていない何かが存在しているんだろうなぁと。
その人がどうこうではなくて、自分の中にあるものがただ投影されているだけなんだと感じます。
その人のお陰でそういったものを統合する機会を与えてもらっていると。
仮にfacebookや所属しているグループや組織を立ち去ったとしても、別のところでもまた同じような経験をするだけです。
不思議なもので、人から何かを守ろう隠そうとすると、それを暴こうとする人に出会います。
無防備でオープンな時は、逆に相手に全て見えているので相手は警戒して威嚇することもなくなります。
ありのまま自分自身でいることが、人間関係もスムーズにいって、人生が楽しく面白く実りあるものになると感じています。
可能性
ありのまま存在できたら楽ですよね。
でも、自分自身をありのままに存在させないのはなぜでしょう?
- 素の自分に自信がない
- 無防備になると攻撃される
- 他人の目が怖い
いろいろな理由があると思います。
もしそれを自分で発見して取り除くことができたら・・・人生どうなると思いますか?