今日、ふとしたことがきっかけで、こんな事を聞かれました。
「アバターに依存していると感じたことないですか?」
逆に僕はこう聞きました。
『お箸に依存していると感じたことはありますか?』
つまるところ・・・。
”主導権はどちらか”
ってことです。
お箸がなくても生きていけますが、ご飯食べる時に便利じゃないですか?
遠くまで行く時に歩いてもいけますが、電車や車があったら便利じゃないですか?
箒とちりとりで掃除もできますが、掃除機を使ったほうが便利じゃないですか?
アバター使わなくても生きていけますが、意識の取扱説明書を使ったほうが便利じゃないですか?
僕にとってアバターはお箸であり車のような、人生で使えるとても便利な道具です。
そして・・・
アバターの意識の道具を使うか否かは、その人の意志で決断します。
※もちろん、使わないとほどんど効果はありません
アバターにかかわらず、宗教・自己啓発セミナー・お金・カウンセリング・スピリチュアルセッション・たばこ・アルコールなど、自分で意図的につかうとき、主導権は自分です。
気が付くと使わずにいられなくなっている時、自分の外側に主導権があります。
もしかすると、それが依存というものなのかもしれません…。
これは本人にしか分からないところかなと。
何かをする時、主導権がどちらにあるか?
自分 > なにか(お金、時間、能力など)
自分 < なにか(お金、時間、能力など)
どちらの矢印の向きで自分の人生が機能していると思いますか??
主導権が自分にあればあるほど、自分で人生を創り出すことが可能になります。
ここでの<主導権>というのは職場での立場や行政や法律という概念だけではありません。
もっと根本的な部分、自分の考えや、感情、態度、意図を含めた個人的経験です。
今、経験していることは外的要因から誘発されたものですか?
それとも、内なる決意によって創り出されたものですか?
その”怒り”の原因は相手の態度ですか?
それとも相手の態度に”反応”している自分が創り出したものですか?
パートナーがいたら幸せですか?
自分自身でいることが幸せだからパートナーが見つかったのですか?
自分の経験していることは外側からきているように感じますか?
それとも内側からきているように感じますか?
外側からきているように感じているとき、意識の自動翻訳機が作動している可能性が高いです。
この自動翻訳機を意図的に使いこなして、個人的経験を変える便利な道具があったらいいと思いませんか?
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