人生って色々なことが起こりませんか?
自分の思ったようにいくこともあれば、自分の予期していない出来事が起こったり。
そんな時はみなさんは、どんな態度を取りますか?
焦ってパニックになりますか?
ショックで落ち込んでしまいますか?
それとも意図的に生きますか?
予期せぬ出来事に遭遇した時、どんな態度を意図的にとるか…。
帰国して関東滞在中の12日~17日までに起こった、僕の予期せぬ出来事を8つご紹介します。
①帰国後1発目の予定が前日に急遽キャンセル
→帰国後で疲れていたので、その時間ゆっくりできて夕方の予定に集中できた
②16日(土)13~15時に主催のイベントの座席予約が土日は取れないことが発覚
→当日、抜群のタイミングで予定していた座席がちょうど空いた
③16日(土)18時からの約束が先日に急遽キャンセル
→16日13~15時の主催イベントが大盛況で盛り上がり、終了時間が18:30だった
④17日(日)の日暮里でのアポが交通事情で1時間半ほど遅れる
→その時間を利用して、アバター東京Officeの勉強会に参加できた
⑤Officeビルのエレベーターが人数多くて、1回目に乗れなかった
→次のエレベーターに乗った瞬間に地震がきて、すぐエレベーターの外に出て事なきを得た
⑥アポが1時間半ほど遅れたので、予定した15時の電車に間に合わなくなった
→16時発の前から乗りたかった成田行き特急;スカイライナーに乗れることになった
⑦駅の窓口で自分の番になったら、まさかの機械が故障で出発時間ギリギリ
→地震の影響で5分遅れていて、問題なくスカイライナーに乗れて快適に過ごせた
⑧空港で家族のお土産に人形焼を買おうとしたら、以前あった場所に見つからない
→店員さんに聞くと別の場所にあって、ちょうど欲しい数量と種類が残っていた
すべて僕の予期しない出来事でした。
どのタイミングでも落胆できたり、諦めて別のものを探したり、イライラした気持ちをぶつけたり、うまくいかない状況を嘆くこともできたんですが…。
意図的にそれを選ぶのをやめました。
その代わり「すべては大丈夫!」という態度を意図的に選びました。
アバターを使い続けていくと、この意図的に選ぶ技能が向上していきます。
”人間万事塞翁が馬”ということわざがあるんですが、僕はある出来事に対して視点が固定する時に思い出すようにしています。
中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」
しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。転載元:人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
”本当のところはわからない”
そんな風に僕は感じています。
何がよくて何が悪いかなんて、自分の見る視点でいくらでも変わってきます。
今は良いと思えないことが、後からは最良のことになるかもしれません。
一つの視点に囚われて一喜一憂するよりも…
広い視点をもって意図的に生きることが僕は好きです。
そっちのほうが何だかワクワクするし、未来の可能性をオープンにできる感じがします。
たったひとつの出来事で、全てを台無しにするのは・・・勿体無い。
アバターのツールを使うことで、ものの見方を柔軟に変えていくことができます。
ものの見方が柔軟になると、可能性やチャンスを掴みやすくなります。
可能性やチャンスを掴みやすくなると、成功する可能性が高まります。
ちなみに「すべては大丈夫」という態度と「人間万事塞翁が馬」の話は、アバター開発者ハリーがいくつかの講演動画で話してくれた内容です。
すごく良いなと思ったので、僕も意図的に採用させてもらっています。
詳しくは、「全ては大丈夫」というハリーの講演動画を御覧ください。
ハイヤーセルフと繋がる方法も分かります。
<日本語字幕付き:約26分>
人生を形づくるのは、政府でも会社でも家族でも時代の流れでもありません。
僕ら一人ひとりが、意図的に創造することもできます。
意図的に生きる人生を始めませんか?
それは僕らが長い間、
探し求めていた魂の故郷(ふるさと)
真理についての真理の旅のはじまりです…。