今日は、渋谷のお気にいりのカフェでお茶べりをしました。
昨日、インスピレーションがあって、「分離と統合ゲーム」のお茶会をしようと思い立つ。
※分離と統合ゲーム;7つの習慣のボードゲームで得たインスピレーションを得た創ったゲーム。トランプを使って20分ほどで分離と統合を思考レベルから経験可能
なんだかんだで、昨日の夕方にFBでイベントを立ち上げ投稿して、いろいろあって来たのは1人。
もちろん、僕と合わせて2人じゃゲームはできないので、ゆっくりおしゃべりすることに♪
結果的にすごく楽しいおしゃべりになって、あっという間に時間が過ぎました。
2人とも<今、ここ>にいて、お互いの経験や感じていることを共鳴したり分ち合ったり。
調和と信頼のスペースがそこには広がっていました。
そんな2人にもとあるキーワードに、
大きなギャップがあることを発見!!
”助ける” ”忍耐”
みなさんは、この言葉を聞いてどんな概念やイメージが浮かんできますか?
きっと、僕の思っている概念とみなさんが思っている概念は違うかもしれません。
”同じ言葉”なのに対象としている概念が違う…。
そこに”色眼鏡”が存在している可能性が高いです。
ちなみに僕の”助ける”の概念は…
「何かを必要としてる人に、必要としているものを渡す」
例えば、電車に座っていて目の前にお子さん連れのお母さんが入ってる。
お母さんが子どもが座れる席を探していたら席を譲る。
そんな感じです。
自分がしてもらったら嬉しいことを自分からする。
これはいつも出来ているわけではないので、日常生活と通して実践の毎日です。
わざわざ自分が「助ける」という経験をしたいがために、問題のある人を創りだしたり問題を複雑にする人もいるかもしれません。
自分は必要な存在だという自己肯定感が低いと、そういった人を創りだすことで自分の自己肯定感を埋めることができます。
少なくとも、僕はそうでした。
ちなみに”忍耐”という概念は…
「相手を信頼して、必要なだけ待つ」
例えば、子どもが自分で考えて何かをしようとしている。
そんな時に、口を挟まず自分の経験則や余計な手助けをしないことです。
もっともらしい事を言って、自分のエゴを満たしたい誘惑に負けない。
その子を信頼してどんな経験でもその子ができるように、安全な探求できるスペースを創ることです。
これも同様でいつも出来ているわけではないので、日常生活と通して実践の毎日です。
忍耐は、苦しみを我慢したり、誰かのために自分を犠牲にするイメージがあるかもしれません。
苦しみを我慢したり自己犠牲をやり過ぎると被害者意識が生まれて、誰かに何かを強要するようになる可能性もあります。
少なくとも、僕はそうでした。
もしかすると、僕らは誰かと何かを共有していると思っているだけで、単に自分の色眼鏡を通して経験しているだけなのかもしれません。
でも、分かちがたい経験や共感を経験しているもの事実です。
きっと、その時は自分たちの色眼鏡が外れたり限りなく透明になって、お互いのあるがままと繋がっているのかなぁと感じます。
色眼鏡を持つかどうかはその人の自由であって、持ってたら悪いとか無かったら良いというものでもないと思います。
ただ、ガチガチに固定された色眼鏡があればあるほど、あるがままを近くする代わりに歪曲して本来のモノとは違うように受け取ってしまう可能性が高いです。
そうすると、そこにあるチャンスや可能性を見落とすかもしれません。
アバターコースの第二部では、自分の色眼鏡に自分で気づいて、意図的に色眼鏡を付け替えるというトレーニングがあります。
”全てが存在する世界”から、”絶望”という色眼鏡をかけて絶望を集めることもできるし、”可能性”という色眼鏡をかけて可能性を集めることもできます。
それは僕らがどの色眼鏡を’意図的”に選ぶかで決まってきます。
色眼鏡をだんだん自由に付け替えれるようになると、他人のかけている色眼鏡にも気づけるようになります。
そして他人の色眼鏡を良い悪いと価値判断する代わりに、ただ味わい愛でることができるようになります。
価値判断が和らいでいくことで、やさしい気持ちで人と存在できる時間が増えていきます。
自由に色眼鏡を変えることができたら…
世界はどんな風に見えると思いますか?
僕の人生は、悪戦苦闘の毎日から可能性を探求する遊び場へと変わりました☆
そんな世界を経験してみたくないですか?