自分自身でない”何者か”になろうとする事は自分を不幸にする

のホームで電車を待っている時に、ふと言葉が降ってきます。

大抵は投げかけるような質問です。

ここ最近で印象深かったのは、こんな感じの質問。

 

世の中では著名人や成功者や大会社の社長など、権力・富・名声を得てる人が”すごい人”のように感じる。仮にみんながそういった人を目指したら、世の中はどうなるのか?

 

試しに、自分の身体で考えてみました。

 

 

 

 

もし心臓がたくさんあったら?

心臓が止まったら人は死ぬ。

つまり人間にとって心臓は、いちばん大事な臓器なはず。

24時間365日年中無休というか、死ぬまで1回も休まずに動き続けている。

途中で5分でも休もうなら、僕らは生命はそこで尽きてしまう儚い命…。

 

じゃあ、左手や右手の代わりに、心臓が3個あったらどうだろう?

右手や右足の代わりに、心臓がさらに2個あったら?

両目と声帯と胆のうの代わりに、心臓がさらに3個あったら?

 

きっとうまく機能しないと思います。

大事な話をしている時にすべてを台なしにしてしまう…あの鼻毛すらも、心臓には代わることのできない埃や塵やウィルスなどを遮断する機能があるくらいです。

 

必ずしも、大事なものがたくさんあればいいというわけではなく、それぞれの役割を果たしてこそ、身体という一つの生命体は素晴らしく機能することがでるんだ!と。

もし、世の中に社長しかいなくて従業員が一人もいなかったら、経済は成り立たないですね(笑)

 

”身体”という限定を少し広げて、”地球全体”を一つの身体として考えてみたらどうだろう?

 

国家間の争いとは、さながら、右手と左手が”シワの数”の違いだけでお互いに喧嘩しているようなものです。

その”シワ”は…宗教であったり、歴史の食い違いだったり、肌の色だったり…究極的には”信じることの違い”で対立しています。

地球のあちこちで環境破壊や戦争や飢餓が起こって地球は病気になり、その症状として自然災害や天変地異が起こっているのかもしれません…。

 

そして、自分自身が何者であるか知っておく必要もありそうです。

 

仮にあなたは身体の一部で左足のかかとだったとします。

大好きな人と触れ合うことのできる”唇”になろうと、何とかして唇になろうとします。

足をうっ血させて唇のように真っ赤にしてみたり。

しかし、結局のところ、どれも失敗に終わります…。

唇になれない悲しみや、唇に対する嫉妬、どうして好きでもない靴下と毎日キスしないといけないだ!といかりの気持ちでいっぱいになり、死ぬまでかかとにうまれたことを後悔するかもしれません…。

自分自身でない”何者か”になろうとする行為は、自分自身を不幸にします。

そして、大好きな人の大切なときに自分の役割も果たせずに終わることも。

 

もし、自分自身の存在をあるがままに受け入れることができれば…

大好きな人がよろけて倒れ込んできた時に、その人を支えるのは”自分”しかいないとかかとは気づくでしょう。

この人を守るためには自分が必要だ!と自分の役割を思い出します。

 

人間の可能性は無限にあるし、僕ら一人ひとりがどんな役割を持っているのかは分かりません。

ただ、言えることは…

 

”自分自身”でいることが、調和した自然な状態であって、人間としてもいい味がでる。

そして、仕事ができるとかできないとか、容姿が良いとか悪いとか、そんなことは全く関係なくて、全ての人が尊くて必要不可欠な存在なんじゃないかって思います。

 

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