”心配”という言葉を聞いて何をイメージしますか?
心配[名・形動](スル)
- 物事の先行きなどを気にして、心を悩ますこと。また、そのさま。気がかり。「親に心配をかける」「将来を心配する」「心配な天気」
- 気にかけてめんどうをみること。世話をすること。「近くに住む娘が食事の心配をしてくれる」
1のネガティブな意味合いと2のポジティブな意味合いがあるようです。
今日はそんな心配について探求してみました!
理由としては新しい家族、愛犬ルルちゃんの躾にも関連してくるからです。
目次
心配のデメリット
うちの母はとても心配症です。
”症”ってことは病に関係するのでネガティブなイメージかもしれません。
実際、母は心配症でこんな経験をしています。
- 車のガソリンが半分になると「半分しかない!」と給油へ行く
- 今夜の晩ご飯を作りながら明日の晩御飯のおかずも作る
- 翌日になると今夜の晩御飯を作りながら明日のおかずも作る
強迫観念に取り憑かれたかのように自動的にやっています。
母も自分でわかっているんですが止めることができません…。
外側から見ると心配すればするほど母は疲弊していくのがわかります。
結局、ガソリンの給油回数が約2倍になり、燃料が多いぶん燃費は低下します。
おかずは作りすぎて余って捨てることも少なくありません。
心配することで自分にとっては妨げになる結果を招いています。
「心配しないで大丈夫!」と言って心配を止めることができればラクだと思います。
母を教化や洗脳をすれば変えることはできるかもしれませんが…それはないです。
心配のメリット
人によっては受け入れ難いことかもしれませんが、心配にはメリットがあります。
それはエゴにとってかもしれないし、他の誰かにとってかもしれません。
学校で心配する方法を教わったからかもしれません。
理由は様々ですがメリットがあります。
先週末、友人の結婚披露パーティーがあり、横浜へ二泊三日で行ってきました。
だいだいこれくらいかなと予算を決めて、前泊してカフェや食事や観光をしたり。
<赤レンガ倉庫>
<横浜公園>
でも、ちょっと予算をオーバーしそうになったんです。
するとこんな心の声が聞こえてきました。
「このまま好き放題、食べたり飲んだりして大丈夫かな?」
「もし、明日の結婚披露パーティーで2次会とかなったてもお金足りるかな?」
「自分の食欲や願望やお金を自己管理できないってイケてないな…」
お陰で横浜中華街はお手軽ならランチにして味もイマイチ(笑)
飲料水も連泊するともらえるペットボトルのアパホテルの水をありがたく飲んでみたり。
横浜観光は楽しかったんですが、僕のエネルギーの2割くらいは心配に注がれ続けていました。
結果を言えば、その不安は無駄に終わることに(笑)
その不安に割いた時間やエネルギーは浪費されたんです。
デメリットじゃん!と思うかもしれませんが、心配のメリットはここにあります。
マイナスのことを想定してマイナスのことが起きたら感情の変化はありません。
事前にマイナスをシミュレーションしているので傷は浅くて済みます。
うまくいけばほとんど傷はないかもしれません。
運良くマイナスのことが起こらなければラッキー!となります。
マイナスからプラスになるの感情の変化が得られます。
つまり心配することのメリットはそれ以上悪くならない保険のようなものです。
生命保険や火災保険に入っている人は多いと思います。
月々いくらかを払って万が一に備えます。
実際にそうなったら保険に入っていて、保証金がおりて良かった!
そうならなかったらお金は無駄になるけど不幸が起きなくて良かった!となります。
それ以上、悪くはなりません。
保険という制度が必要かどうかはここでは触れません。※選ぶのは個人の自由だからです
心配の対義語は?
心配の対義語ってなんだと思いますか?
過去の経験を踏まえて考えてみたら・・・
信頼…かなと思いました。
[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「信頼できる人物」「両親の信頼にこたえる」「医学を信頼する」出典元:goo辞典
信頼している時って疑いがないと思います。
そもそも疑っていたら信頼じゃないですもんね(笑)
保険もかけない気がします。
信頼とは勇気の問題
だからこそだと思うんですが…
不安があるときに意図的に信頼するのには勇気が必要です。
これから起こるであろう様々な可能性の中から1つだけ選ぶ。
あんなことが起きないか?こんな事が起きたらどうしよう?
「そんな不安を抱くことをしない」という決断が必要になります。
”不安は自分の外からやってくる”と信じている人には、この決断は難しいかもしれません。
信頼のデメリット・メリット
そこが信頼のデメリットとも言えるかもしれません。
「不安を抱くことをしない」=「保険を掛けない」ということです。
人によってはキチガイじみた選択に感じるかもしれません。
- 「生命保険も火災保険も一切の保険も入らない?」
- 「何かあったらどうするんですか??」
- 「心配じゃないんですか?」
- 「現実的になりましょうよ!!」
万が一が起こった時・・・それがデメリットです。
逆にメリットは「保険を掛けない」ところにあります。
例えば生命保険が月々2万円であれば、それをまるまる使うことが出来ます。
単純計算で2万×12ヶ月×30年=720万円。
大きな金額ですね。
毎月2万円を健康的な食事や運動、健全な交友関係に使ったとしたら…。
大きな病気にもかからず、ぽっくり逝って就寝介護も必要ないかもしれません。
自分が今までの人生の中で心配に費やしたエネルギー。
その半分でも自分のやりたい事に使えたら、どうなっていると思いますか…?
昔に戻ってやりなおしたーーーい!と思う人もいるかもしれません(笑)
心配に費やした2割のエネルギーを<今、ここ>に使えていたら…
僕はもっと横浜観光を楽しめたかもしれません♪
心配と信頼の境界線はどこ?
この境界線が探求の醍醐味というか知恵の部分だと思っています。
例えば、5歳の子どもを信頼しているからといって、家の外へ一人で遊びに行かせても大丈夫なのか?
時間通りに間に合う!と公共交通機関を信頼して、大晦日の時間ギリギリの終電に乗れるのか?
これ極端な例で分かりやすいですが、実際はもっと微妙なところで起こっています。
母のガソリン給油だったり、ちょっとした予算オーバーだったり。
余裕を持って出掛けることや、経営者がリスクヘッジをして経営を行ったり。
現実的なリスク管理と不必要な心配の境界線はどこなのでしょう?
僕の最近、エネルギーを注いでいるところは愛犬のルルちゃんです。
今まで4匹犬を飼っていたんですが、全て父と母が躾をしてきました。
僕と弟は子どもだったのでただ「かわいいー」と言えば済まされました。
しかし、今回は自分の意志で母と相談してルルを迎えることを決断。
僕の中では父親になった気分で、他のお母さんやお父さんが味わう気持ちを経験しています。
- 子どものしつけはこうすべきだ
- ◇◇◇より◯◯◯の方が良い
- ついカッとなって叱ってしまう
あ~、世のお母さんお父さんはこんな葛藤や教化を経験しているんだなと感じました。
心配の得意な母はルルのしつけでも心配しています。
- おしっこ上手くできず違うところでしたらどうしよう…
- うんこ食べちゃったらどうしよう…
心配しだしたらエンドレスループに入るのがタチの悪いところです。
そのまま心配に巻き込まれるか?意図的に信頼するか?
なにか新しい事に取り組むときは「探求する態度」を持つとうまくいくなと感じています。
人生を通した壮大な実験です!!
というものの、僕もついつい心配してしまいす。
「初めての子育て、うまくできるかな?」
「これはちょっと厳しすぎるんじゃないかな…?」
「あちこちお漏らしする犬になったらどうしよう…」
という感情が湧いてきたら、それを意図的に止めました。
止めると意志の力で決断しました。
そして、ルルと一緒に共同生活する上でどうしたらお互いが気持ちよく過ごせるか?
その可能性を一緒に探求してみよう♪という態度で存在するようにしました。
そんな感じで横浜から帰ってきて、今日の午前中は躾の時間にあてることに。
オシッコ、ハウスを今は覚えてもらっています。
うまくできたらオヤツのご褒美付きです(笑)
オシッコはだいぶできるようになってきたので、あえてゲージを開けて部屋を自由に走れるようにしました。
ルルのことを信頼してみようと。
どんな結果になろうと全て受け止めようと決意しました。
※現実的なリスク管理として、ティッシュや消臭スプレーは部屋においています。
結果、きちんとオシッコとうんこまでゲージの中でしていました(涙)
ルルちゃん~♡
まとめ
不必要な心配に注ぐエネルギーを自分の創りたい現実に向けかえる。
そんなトレーニングをアバターコースではやっていきます。
意志の力を鍛えるシンプルな練習もあり、”探求する”というスタンスがとても楽しいです。
学校で間違った時のバツの悪い感じはないですし。
現実的なリスク管理と不必要な心配を見分ける知恵を高めていく。
その探求のプロセス自体が僕はすごく面白くて好きです♪
”人生”というゲームで主人公をレベルアップされている感覚ですかね?
自分をより良くすることで…
- 人に優しくできたり、余計な苦しみを与えずに済んだりする。
- その人が自分のやりたい事に注ぐ分のエネルギーを温存したり増やしたりできる。
- 正しさを主張して無益な争いを生むかわりに、包括的なゴールを目指してみる。
それができたとき、ハートにグッとくる喜びのようなものがあります。
もちろん、うまくいくこともあればそうでない時もあります。
それも”経験”として次の学びに変えて探求することが人生だなと僕は感じています。